doublubonのブログ

色々なことについて書きます

スチューデントアパシー

 文体変えて記事書くのが予想以上に面白くていい感じなので、もういっちょ!

 さっきのエントリと多少関連性があるかもしれない。スチューデントアパシーの話。格好つけてスチューデントアパシーなんて言葉を使ってしまったが、要するに「無気力症」だ。どうやら昨今の若者は皆無気力でという議論が…いや、若者なんていつの時代だって無気力じゃねえか、バカ野郎と思う方も三々五々いらっしゃるのはわかるが、そこはそういってタブ閉じるようなヤボな真似はしないで、どうか俺のヘタクソな記事を最後まで読んでって下せえよ旦那。

 

 前も言ったけど、俺は今大学生。まあそれなりの大学生活を送ってる(と自分では思っている)。大学の俺の知人はいろんな意味で無気力なやつが多い(断っておくが、俺は大学浪人し、先日留年が決まったわけだが決して無気力ではない。その証拠としてブログを開設してからもう結構書いている)。一浪なんて当たり前、二浪、三浪も普通にいる。留年も多い。俺の大学は「進級できないシステム」ではなく「学年が加算されるシステム」を採用しているため、5年生、6年生となっていく。従って5年生が確定すれば五確、6年生が確定すれば六確と揶揄される。俺の周りの無気力学生たちは早い段階から「確定」するケースが多いようで、強者になると3年春学期が終わった段階で6年生おめでとうの祝福を受ける。

 で、法則化してるわけではないと思うが、「浪人生は留年する確率が高い」というのが持論である。多浪すればするほど留年する確率も増す、という寸法だ。まあ何よりも俺自身がそれを体現しているから、というのもあるだろうが。浪人、留年の総合商社といってもよい俺の周り(俺もか)のやつらはなんでこんなに浪人するのか、留年するのか。つまり「無気力」なのか。自分なりに考えたわけだ。

 

 結論から言わせてもらうと、彼らは総じて社会不適合だから無気力になるのだと思う。協調性皆無の上、長い浪人生活が祟って人見知りになってしまった彼らにまともな友達などできるはずがない。友達ができないということは、授業を一緒に受ける友達もいなければ、テスト前に気前よくノートを見せてくれる友達もいない。単位取得はチーム戦だ。インコンパチブルでアンフィットな彼らはツーマンセル、或はスリーマンセルが主流の戦場にたった独りで放り込まれるので、絶望する。その絶望が無気力を喚起し、一人暮らしの家でタバコをふかしては酒を飲むという自堕落な生活へのステップを彼らに踏ませてしまうのである。浪人に関しても大体一緒だ。孤独に受験勉強なんてしてるから落ちるのである。非常に雑な考察だが、大体これで合ってると思う。そもそも浪人・留年の馬鹿どもを語数を割いて分析する意味もないし、そんなの時間の無駄だ。

 

 東大に落ちてセンタ―利用で大学で一番偏差値の高い学部に入ったが、麻雀に明け暮れた結果一年時取得単位数「0」なんて後輩もいれば、必修のロシア語が「再再再再再履修」なんて記録的な成績をたたき出している6年生の先輩もいる。俺はそんな猛者と比較すれば全然なんだが、まあ俺は全然な人間で心底良かったなと思ってるよ。健常な大学生のみなさんは、大学の講義に一人や二人はいるであろう社会不適合者に優しくしてやってくれ。彼らも決して好きでそうなったわけではないし、絡んでみると意外とたのしいやつだったりするから。