doublubonのブログ

色々なことについて書きます

SNSについてーほっとけよ

 ちょっと文体変えるわ。律儀に敬語+一人称「私」で記事書いてると中身までキッチリして品行方正なつまらないものになってしまうから。これからはこんな感じのくだけた意識低い系でやってくのでヨロシクお願いします。

 

 俺はもうツイッターとかは全然やってない。つぶやくのもひと月にいっぺんとかそのくらい。一時期はすげえはまって日がな一日TLに貼り付く、なんてこともあったが、今じゃそんなこと全然ない。

 

 まあ俺から言わせてもらえば昨今のツイッターユーザーはみんな他人に関心を持ち過ぎだ。どいつもこいつもネタとして叩いたり誹謗中傷できる人、或はアカウントを探して電脳世界を蠢いている。ひとたびおもちゃを発見すると飽きるまでよってたかって攻撃、攻撃。所謂炎上が落ち着いたあとに残るのは知らないアカウントに大量にフォローされたアカウントが一つ。こんな気持ちの悪い様相を呈したツイッターに未来なんてないと思ってる俺は、たまにPC立ち上げたときにログインしてざっと見る程度のもの。ちょっとでもトレンドを追うと醜悪な罵詈雑言があちらこちらから顔を出し、しかもその悪罵ツイートは俺の想像以上にRT数を稼いでいる、なんてことがままある。見ていて本当に胸糞悪くなる光景だ。

 別に人のSNSの使い方にとやかく言うほど俺は野暮な人間でもないし、高尚な思想を持ち合わせているわけではない。だけど言わせてくれ。

 

他人なんてほっとけよ。

 

 お前の人生劇場に一度として、黒子としてすら登場しない赤の他人を時間割いて叩いてどうすんだ。別に何の迷惑も被ってない、自分と一ミリも接点ない他人に粘着して困らせてどうすんだ。人さまに文句を言う暇があるなら部屋の片づけしろよ、宿題やれよ、母ちゃんに孝行してやれよ。そういう時間の使い方の方がはるかにお前の人生のためになるぞ。文句ばっかり言ってると嫌な人間になるのは俺の身の周りの人間たちが実際そうなったから実証済みだ、

 

 人に文句垂れたり罵倒したり、粘着する馬鹿の代名詞的存在がネトウヨなわけだが、東京新聞記者の田原牧氏が著作で面白い分析をしている。彼女は「最底辺へのチキンレース」と表現しているが、つまりネトウヨ的排外主義者は自分が日本社会の最底辺に落ちこぼれないために国家に自己意識を仮託しているという捉え方だ。ネトウヨの年齢層と社会的地位のボリュームゾーンはどこかというのが議論のテーマとして出てきて久しいわけだが、おそらく年齢も地位も分散しているだろう。重要なのは彼らの社会におけるポジションではなく、彼らがなにがしか社会からの疎外感を味わっているということではないか。彼らは精神的な意味で社会の底辺層を彷徨している。ネトウヨを生み出したのは韓国や中国でもなく、日本社会のいびつな構造に他ならない。多分病んだ人間が多いのもそこと関連して論じられるべき問題だ。年間3万人が自殺する日本は、常に「内戦状態」にあると言って差し支えないはずだ。

 

 誰かと繋がっていないと精神的安定が保てない人間は脆くて弱い。繋がりが断たれれば自ずと誰かに依存していたツケが回ってくるからだ。SNS共依存国家ニッポン」。ああ気色悪っ。