doublubonのブログ

色々なことについて書きます

「苦労至上主義」

最近ファッション関連の記事が続いていたので少し趣向を変えようと思う。

苦労至上主義

大学の知人の幾人かがだいたいこんな感じの価値観を持っていて、正直うんざりしている。彼ら彼女らは人生において苦労を至上のものとみなし、苦労していない(と思われる)人を「あいつは今まで何不自由なく生きてきた薄っぺらい人間だ」と糾弾して憚らないし、あまつさえ「私は苦労している」というようなニュアンスの発言も時たまする。いやはや、けっこうけっこう。あなたは沢山の苦労を重ねてきたのだね。それは辛かったろう。まずは一回黙ろうか。

別に、苦労至上主義者たちの苦労自慢が鼻につくわけではない。誰しも自分の苦い経験を美化させたい願望はあるものだし、それがついつい口に出てしまうことを俺は目ざとく指摘するつもりはない。ただ俺が気にくわないのは、そんな自分の経験を絶対化し、自分の価値基準に照らして他者の良し悪しを決定する傲慢な態度である。一体お前の経験にどれだけの価値があるのか?親から仕送りをもらって一切バイトしていない人間が、実は小児ガンで苦しんでいてバイトすることすらままならない可能性(極論だが)を彼らは一切考慮しないのである。
まあ、早い話がラベリングだ。「あいつは苦労知らず」とレッテルを貼ることでその人間の属性を一元的なものに押しとどめようとする。実家から通うのが一人暮らしするお金がないからかもしれないのに、バイトしないのがのっぴきならない事情があるからかもしれないのに、この苦労至上主義者たちはそんな有り得る可能性全てを苦労していないの大号令の名の下に圧し潰す。だいたい奴らの言う苦労なんてバイトをしてるとかしてないとか、そういうチンケなものなんだ。小学生並みのことを言うようだが、そもそも苦労とは数値化できないアナログな概念だ。この人の苦労があの人の苦労に優越しているとかそういうことはありえない。比較することさえ困難な「苦労」という概念をむやみやたらに乱用し、気にくわない人間を断罪するのははっきり言って幼稚だ。そんな恥知らずな行いを彼らは知ってか知らずか平気でやる。あくまで持論なのだが、だいたい同じくらいの年数を生きてきた人間に対して「薄っぺらい」と決めつける行為は、その人がここまで漸くたどってきた歴史全てを否定することだ。だいたい同じくらい生きてきたのだからこそ、どんなに見た目はヘラヘラしてて苦労も努力もしてなさそうであってもどこかに見習うべき点というのはあるはずである。苦労至上主義者たちはこの可能性全てを否定するのである。ちっぽけな自分の経験をものさしにして。ああ、なんて滑稽なのだろう。世の中苦労人なんて沢山いるのだ。お前なんて大学に入って楽しんでいるという時点で取るに足りない。たかが20年かそこらしか生きてきてない人間が苦労を語るなんて半可通も甚だしい。俺たちはまだ若い。俺たちはまだ世界の何も知らない。自分の経験の乏しさやショボさを自覚して初めて人間はちょっとだけ変われるんじゃないだろうか。そういう意味で苦労至上主義者たちは自分の「辛い過去」にしがみついて前進することのできないただの臆病者だ。



俺の所属する大学は日本でも有数の規模を誇っている。大学全体でおおよそ5万人くらい学生がいるのか、確か。そんなだからみな入学直後はある種のアイデンティティクライシスに陥る。そりゃそうだ。今までせいぜい大きな高校であっても500人の内の一人だったのが、いきなり5万人の内の一人になるわけだから。だからかわからないが、みな自分の個性を確立しようと必死になる。飲み会で騒ぐ、キャンパスで騒ぐ、授業で騒ぐ等々。騒ぐことでしか自分を保てないやつはどうぞ中退してくださいという感じだが、ほんとにこういう目立ちたがり屋ばっかりだ。俺がそこから免れているとは思わないが、少なくとも授業中は静かにするくらいの良識は持ち合わせているつもりである。さっきの苦労至上主義者たちとこの目立ちたがり屋たちはおそらく同じメンタリティを持っていると俺は思っていて、それは何かというと「自分は唯一無二の存在だ」というものだろう。はっきり言っておくが唯一無二の人間などいない。「かくあるべし」的理想の人間像がメディアを通して遍く世界に広められた結果、どれだけ個性的たろうとしたところで「○○みたいだね」としかならないのである。個性は今日、薄くて味気ないモノマネとしてしか認識されない。誰もが個性を発揮できる社会など少なくとも日本には存在しない。


かといって、俺は「わかってる大人」ぶろうとも思っていない。個々人のユニークさはもはやなくなってしまった。だからなんだ、という話だ。自分が没個性的な人間だと分かった上で何ができるか、問題はそこだろう。そして何よりも、他者に承認されて初めて実感できる個性などハナから個性ではないのだ。個性は自分の内に育むものだ。他者と比較するものなどではない。「あいつはこうだが、俺はこうだ」ではなく、「俺はこうだ」これだけでいい。苦労至上主義者も目立ちたがり屋も、他者と比べた上で初めて自分の存在意義を確認している。それじゃあ弱い。自分一人だけで自分を認められるタフさが求められている。