doublubonのブログ

色々なことについて書きます

「公」と私欲が一体化している人たち

こんにちは。ええ、更新しますとも。iPadを購入したんですから。Bluetoothキーボードを駆使すれば持ち運びに容易な簡易PCの完成ですとも。本当iPadって使い勝手いいですね。もうスマホ解約してガラケータブレットにしようかな…。

さて、今日はちょっと真面目な話をしよう。
自分のやっていることが正しいと信じて疑わない人間ってすんげえ厄介だよな。
まあいつものように文句から始まるんですけど。けどいやこれ、世の中でなんらかの人間関係を築いている人は誰しも感じていることでしょ(ニートや引きこもりも、2ちゃんやネトゲなんかのサイバー空間で感じているのかもしれないが)。そりゃあさ、自分のやることなすことに自信を持つことはとても大事だと思うよ?だけど自分のやることなすことこそが私利私欲や感情論を断ち切った、まあ明治初期でいうところの「公議輿論」である!と言われてもさあ…はあ、そうですか、としかならないわけじゃないですか。つか、自分一人の考えが「公」に行き着くと思っているところがヤバイよね。ビョーキだよほんと。正直一言も言葉を発さないでほしい。
んで、こういう人たちの何がタチ悪いかって、自分のしていることが大正義だと思っているからそれ以外の意見に一切耳を貸さないところだよね。譲歩なんて以ての外、如何にして自分の意見の正当性を相手に認識してもらうか、ということに腐心するわけだ。なんでって、そりゃその相手は「私利私欲に基づいた意見をするダメな人間」だからさ。ここで俺が言いたいのは、そんなあんた自身の意見が私的な利害に囚われていないってことをどう証明するのさってことだ。


たいていの人は自分の意見が正しいと思っている。けど自分の経験や価値判断に誤りがあるかもしれないということも同時に自覚しているから他者と議論して認識をすりあわせて、弁証法的により正しく、より良く、より公平なアイディアを生み出すのだ。そうでなかったら議論する意味なんてない。最初から一切の譲歩を放棄して、「俺が正しい、俺が公の立場に立っている」という人と議論して、一体どんな建設的な考えが生まれるというのさ。ポルポト然り、子ブッシュ然り、こんなカチコチに固まった「正義脳」のバカが一体何をもたらしたのか、そういうことをこいつらの予備軍といえる連中はもう少し考えたほうがいい。私的な意見に過ぎないものを勝手に公的な意見に肥大化させて、あらゆる反駁を「俺の言っていることのほうが理にかなっているから」と言って一蹴するやつは、はっきり言ってファシストだ。俺自身の経験に基づくと、ファシスト一般人は意外とたくさんいる。こいつらは声だけはでかいが、言っていることは本当に大したことない。自分の意見を通したいだけのただのクソガキだからだ。
こんなクソガキファシストに手を焼いている人は数多いだろう。かく言う俺も現在進行形でこういうやつと付き合わざるを得ない状況にある。本当にウンザリするが、やっていくしかない、やっていくしかないのだ。世知辛い世の中だなあと思う今日この頃である。