doublubonのブログ

色々なことについて書きます

服好きな人のタイプ

すみません、完全に放置してました…
PCいかれて、スマホじゃブログなんてカケネーヨ!ってことで書けなかったです。まあほんとは完全に更新を忘れてただけなんですけどね。スンマセン。引っ越しやらなにやらを言い訳にして一日一回更新をしなくなった途端にこのザマですよ。三日坊主を直すために始めたブログが結果的に自分が三日坊主体質であることを再確認するためだけのツールになってしまって、悲しいです、ホント。

ところで、大学近隣に引っ越したこともあって、かなり界隈の服屋にお世話になっている。それが基本的に古着屋中心なんだけど、チョイスが絶妙で店主の方もバイトのお兄さんたちも総じて気さく、何よりも古着なだけあってとても安い!ということで快適に自分が欲しい服を探せるのが素晴らしい。
そんな環境に慣れてきたつい最近、後輩と連れ立って新宿のル○ネに行ってきた。久々に新品の服のお店にも行ってみよう、となり、久々のルミネでワクワクしてた。

で、実際行ってきました。ルミネ1、2、エストと一通り回ったんですけど、それぞれの客層に何か特徴みたいなものはあるのか、ということを考えたら、男性客に限っては二通りのタイプに分けることができた。

①エストの客
彼らが重視するのは、基本的に「女子受け」だろう。メンズフロアなのに女性店員が多い、割と若々しいイメージを重視している、等がその何よりの証左といえる。このフロアに集結する男性たちの服装を見てみると、総じて流行りを重視しつつもそこまで質に関して気にしているようではなかった。まあ端的に言えば安っぽいということだ。自分自身そんな大層な服を着ているわけではないのでそこのところは彼らと同じ穴の狢なのだろうが、しかしお世辞にも自分の着ている服そのものに注意を払っている様子はなかった。毛玉の目立つニット、汚れたスニーカー、明らかに合皮な短靴等、よく言えば年相応、悪く言えば決して長くは使えないようなもので身を包んでいた。多分、所謂「脱オタ」の人たちもいるのだろう。
良し悪しの問題ではなく、彼らは単純に「流行りの服を着こなす自分」が好きなのだ、と俺は推測する。あくまで服は他者に認められるための手段であって、目的ではないのだ。だから彼らはSUPREMEのボックスロゴキャップにフルブローグの革靴を合わせる、なんて暴挙を平気でしでかしてしまえるし、細身のチェスターコートの下にCHAMPIONのパーカを着て、ニット帽を浅くかぶったりなんてことをしでかせるのである(おそらくこんなことを言うと「起源厨ウゼエ、○ねよ」と言われるだろう。しかし俺は自分のポリシーに照らして断じて、断じてこのような愚昧な行いを容認することはできない。彼らの着こなしは端的に、歴史に対する冒涜である)。先ほど俺は、着ている服は彼らと大して変わりないだろう、と書いたが、この「服に対する価値観」の点で相容れないと思った。装いの方法論が時代とともに変遷することはよくわかる。こんなことを言っている俺だが、ピーコートを英国海軍の屈強なセーラーたちのように着こなせ、と言われたらそれはさすがに無理である。だから彼らの服装にケチつけて自分の理想を押し付けることはしない。だが俺は絶対に彼らのような服の着方はしない。これだけだ。

②ルミネ1の客
こっちに来ている客は、ありていにいって「服そのものに興味がある人たち」だろう。入っているブランド/セレショもそれなりの値段がするものがズラッと軒を連ねている。誤解を憚らずに言えばオタク気質なのかもしれない。「こちらのマフラーはアルパカの毛を使っているので〜」「このレザーはシープスキンなので〜」といった「品質を保証する」文句に目がない(かくいう俺もそうだ)。
これはこれでどうなのだろうか。ファ板でよく目にする「自己満足」という言葉が脳裏をよぎる。もしかしたらエストの客の方が「他己満足」であるという点でこちらのタイプより虚しくならないのではないだろうか。俺もおそらく(買う服の値段を除いて)こちら側に属していると思うのだが、自分に限定していえば、まあ、往々にして虚しくなることはある。ファッションが自己完結しているため、他人から服装に対する指摘があってもさして気にならないのだが、自己完結しているからこそ(特に自分的に高い服を買った時は)「ああ、俺ってなんでたかが服にこんな大枚はたいているんだろう……」となる時もある。そういう意味で、服を買う際、一つ目に紹介したタイプは他者との承認をめぐる闘い、二つ目のタイプは自分自身の賢者モードとの闘いを繰り広げている、といえる。
このタイプの人は多分、服を買うまでのプロセスを楽しむ傾向にある。お目当ての服をネットで探し、その服のクオリティ()の高さにウットリし、現物をショップで手に取って感涙に咽び泣くのである。根も葉もないことを言ってしまうが、結局はその品質をある程度担保しているブランドという記号を買っているだけではないか(ボードリヤール並みの感想だが)。しかし、そこのところを割り切って自分はブランドに目がない人間だ、と自己認識することができれば、そこまで苦しむこともなくおしゃれを楽しむことができるはずだ。その点、俺はまだ発展途上だ。そういう人間になりたいものだなあ(願望)。



ここまで字数を割いて書いてしまったが、なんのことはない、そこらへんのくだらないブログやツイッターに溢れている言説をトレースするだけの記事になってしまった。昔から服好きを自認する人間として、もう少し世間様に見せても恥ずかしくない考察をしたいものである。駄文長文失礼いたした。