doublubonのブログ

色々なことについて書きます

講演会 メモ

さくら荘 逃げてきた人たちが安全で住みやすいところを目指す
300人から500人ほどの卒業生
・コミュニティ心理学→個人と環境の適合⇨社会を変えなければならない
・協働の理念 コラボレーションの媒介としての職員、荘そのもの
自助グループの奨励「当事者は力なり」「アンダンテ」というグループの発足
→エンパワメント
”シェルター支援の現場から見えてきたもの”

シェルター=蚕の繭・・・安心できる場所。自分の物語を紡ぎ出す
自分が受けた心と身体の傷をしっかりと認識するということ
旧来の規範から離れること・・・困難。バックラッシュへの対応
「新しい親密圏の中に入る」
2007ー2008 困難さの顕在化・・・新しい親密圏に入ることを拒否する人の増加
→挫折感に対して杉山氏の著作がリンク
→人生における選択肢が狭まる→高橋氏の仕事とリンク

杉山氏(ライター)
2008 移民還流・・・日系ブラジル移民の密着取材
日本で暮らす外国人に月一でインタビューする仕事もしていた
川崎市川崎区における事件・・・男児が殺される→主犯格の母親はフィリピン人
外国籍の人々の困難は、非常に見えにくい
大阪二児置き去り事件 母親は一時期だけ「完璧な母親ぶり」を見せていた
その後、二人目が生まれた途端に堕落→主婦から外れた瞬間、様々な社会資源を使えなくなる
社会変化が、子どもの貧困や虐待の様相を変化させていったのではないか?

価値観を共有できないということ
価値観の多様性→人と人がなかなか繋がりにくくなってしまった
☆社会格差の増大は、共同体の崩壊の一端を担ったのでは?
家庭が非常に壊れやすくなってきている社会
自分が自分で許せない母親像は、隠蔽される
→自分で自分を許せなければ他者と繋がることは容易ではない
価値観「こうあるべき姿」と、今の自分の辻褄の合わなさ、のしわ寄せが、最もどうにでもできる子どもへと向かう

日本の政策の問題点
「労働力としての外国人」がほしいけれども、それを「移民」として認めていない
血統に対する固執→同じ血を持っていれば同じ価値観を持っているだろう
日系人を優先的に受け入れた(80年代)
90年代・・・日本の就労のあり方が変化→派遣業の増加
血の繋がりが薄い日系ではない人間が大量に流入→労働力として使われる
「ただ働くためだけに来ている集団」→コミュニティが存在しない
日本の中で義務教育を受けられずに放置されている少年
20人に一人の在日ブラジル人が刑務所を経験
教育における価値観、前提が異なる→教育格差の増大
姿が見えない中で育つ人がいる
「そんなに日本人と付き合う必要もない」・・・経済だけで人が繋がっていく社会・・・同じ国籍の人同士で連帯の契機を作ることができない
「自分が生きていく理由が、ただお金を稼ぐだけ」になる
→家庭の崩壊、コミュニティの崩壊
戦前の在日ブラジル人・・・一致団結して頑張る
高度資本主義社会・・・人間がバラバラになること
価値観・・・人どうしをつなぐ紐帯のようなもの
紐帯が無ければ人間の関係性は構築されない。信頼関係も醸成され得ない

そんな中で、川崎の事件
フィリピン系の人ということを報道したくない→外国人差別になるから
「早くに出勤、遅くに帰宅していたので、息子が何をしているのかわからなかった」
一人一人の抱えている困難の多様化
様々な関係が切られる中で起きた事件
「子供たちは人種ではなく、階層で繋がっている」
☆階層から抜け出すことの困難さ?階級社会の復活?
違う価値観を持っている中で憎悪・無力感が増殖
コミュニティの中でも繋がりは断たれてしまった
「同じようなニオイのする子どもどうしの繋がりが強化されている」
日本でどれだけ犯罪を犯しても、日本から出なくていい、ということの安心感
些細な罪が、その人の人生を揺り動かすほどの困難をもたらす
お互いの信頼が作れない中で生じる暴力
フィリピン女性の特徴・・・日本で暮らすフィリピン人のの八割が女性、20代
日本人の配偶者を得て日本国籍を取得する・・・夫との関係の良し悪しによって、自分の日本での安泰が左右される
困難層の人々と我々がどのように繋がっていけるのか

追加
SOSをどう受け止めるか?
ありのままにそこにいてSOSを出せるかどうか
敬意を持って接せられるかどうか
両親に「ああ頑張ったね」と伝えるということ
虐待する両親も、孤立無援な中で頑張っている
自分たちはたくさんの人によって支えられているという自覚
そういうものを持たない人間がどれほど困難を味わっているのか、ということを理解する

高橋氏(施設退所者ケアマネ)
ユズリハ
自立援助ホーム(15ー20の若者が働きながら就労支援するグループホーム
自立・・・自分で使っていながら、自立ってなんなのかよくわからない?
卒社した若者がちゃんと生活を維持できているのか、という話
ホームレス、服役者、望まない妊娠
成人になってから、また施設生活へ逆戻りするケースもある
安心して「助けて」の声をあげられる場所の創造
法人のもとでユズリハの活動

児童福祉
児童虐待・・・9万件
3日に一人、子供が虐待によって命を落とす現状
狭山市での事件などなど
社会的保護のもとで暮らす子供た・・・4万7千人
里親家庭で暮らすための取り組み→血縁・地縁を重んじる日本ではなかなか難しい
里親の需要はあるのにもかかわらず、様々な困難から供給が成り立っていない
安定した生活を送れないケースも少なくない

施設経験者がもう一度施設に入ってしまう要因
1.虐待のトラウマ
不適切な養育環境で育った記憶を抱えている
カウンセリングや薬によってどうにかなるものではない
子供期に受ける日常的な暴力・暴言がその後の人生に及ぼす影響の根深さ
トラウマや記憶を乗り越えながら退所者は生活しなければならない
当事者の人々も予期せぬ形でフラッシュバックを起こしたりする
2.両親に一切頼ることができない
両親が劇的に変化して、退所後は仲良く生活しているケースは「ない」
☆アフターケアの必要性?
親が親として機能していることはまずない→親に頼るのは不可能
→自分一人で全ての生活をやりくりしなければならない
失敗することも立ち止まることも休息することもできない
正社員として働けることができるのはほんの一握り
児童養護施設出身の若者は全体の20%
施設の子たちにこそ高学歴・就労の資格を与えなければならない
(社会的再生産の観点からしてこれは困難なのでは?)
「親に仕送りもらう社会人なんて普通」という意見に対して
→何かあった時に頼れる親がいるかどうかという潜在性の有無は大きな違いがあるでしょ?ぱっと親の顔を浮かべることができるのは健常な家庭で育った人間だけ
「家族の幻想」という古い価値観は完全に打破すべき
☆オルタナティヴな「保証人」が必要なのでは
親や家族が正常に機能していないが、それを求める社会
年間で延べ1万件の相談・・・女性からの相談が多い
女性性であるから受ける被害の多さ
性的な被害が必ず伴ってくる→女性であるがゆえに受ける被害の深刻さ
性産業へ誘導されるということ
・住むところをすぐ提供してくれる
・連帯保証人など必要ない
・生きていくために手っ取り早い

(追加)
気持ちとして「相談してくれてありがとう」という感謝の気持ち
ここまで生きてこれたね、と伝える
理解しようとする気持ち、寄り添わせてもらう姿勢
支援者自身が相談者を傷つけてしまうケースがかなりある
支援をする上で自分たちの倫理観や正しさを振り回す意味がない
潜在的に困っている人たちの声を汲み取ることができない
一人一人の相談者との対応を真摯に行う→信頼関係は波及する
できないことはできないということ
支援を継続するためにできることを相談者に表明する
オーダーメイドの距離の取り方
支援の手が行き届かない現状を変えるためにどうアプローチすればよいのか

第2部 当事者の声を聴く
ダルク女性ハウス管理人
暴力を受けたあとには集中力が著しく減退する
効率的に伝えたい部分だけ伝えるという試み
今している話の、文脈を理解することができない
☆相談者と付き合っていく人にはある種の「胆力」が必要なのでは
悪いのは誰なのか?
まず生き抜くということに対する驚嘆
他者が受けた暴力の痛みを最も緩和するのは、薬物が一番効果がある
→虐待受けた人間の70%が薬物依存症になるという研究報告
日本・・・厳罰化の国だから、相談に行くことができない
→点々と相談していくことの重要性
とにかく10年は生き延びろ(法律スレスレのところ)
やっぱ民間に金ジャバジャバ行きわたらせたほうがよい

当事者の方①(名前を忘れてしまった)→坂上さん?
ここに来るのが辛かった
ここで話せるのかどうかというプレッシャー
元夫によるモラハラ・・・結婚して5年で自覚
自分だけが我慢すればよい?・・・子供にも影響する
→調停による離婚に5年かける→計10年
震災云々の状況の中で、さくら荘に入居できたことは非常にラッキーなことだった
夫は弁護士をつけていた
夫「子供の親権が欲しい」
家に行って親権を諦めてくれれば近所に住んでもよい→拒否
→家出
自宅近くの児童館に自転車をとめたところ、職員に訊ねられて行政とつながる
夫との生活時に全てのことを制限されていた・・・「風呂にいつでも入ってよい」と言われたことが本当に安心できた
さくら荘は母子ともに好き
さくら荘が小学校の学区には入っていなかったので、近くのアパートに転宅し、そこから小学校に通わせられるようにした
夫のことは、もう過去のこととしてどうでもよい、が、子供の不登校等のほうが悩まされる
共依存の経験が今となってどれだけマズいことだったのかということを痛感
子供が言うことを聞かないという辛さ
良い辛さとダメな辛さ
・主体的に決断することのできない辛さ・・・ダメな辛さ
・決断できることの問題で悩む辛さ・・・良い辛さ
立ち上がることの練習中
「生きてること自体がこわい」
大変さの区別がつかない辛さ
定点観測の必要性
自分の立ち位置を常に確認し続けることが大事

萱場氏
30歳で子供が生まれてから暴力が始まるようになった
自分が家庭の中でくつろげる可能性がないだけだ→まだつらくない
暴力の矛先が長女に向かう
自分が悪いことだから人に相談できる資格なんてないのだ、という気持ち
カウンセラー「あなたたちの安全を守るためにはあなたが家を出なければならない」
夫との話し合い→夫「お前の態度次第だ。子供に暴力を振るうことが最も効果的だ」
これはダメだという気持ちの肥大化
きっかけを与えてくれたのはIFFの人→弁護士に相談できた
収入が小さくても子供が幼ければ親権を手に入れられる可能性が高い
決断を後押ししたのは?・・・子供が連れて行かれてしまったら意味がないという執着心と、シェルターという安全地帯があると知れたこと
さくら荘・・・安心できる場所ができてよかった
安心して親子で過ごせる場所ができて嬉しかったということ
両親「父親のない子供を作るのか」「お前の口の利き方が悪かったんじゃないのか」
☆親に頼れない。冗談半分で捉えられれしまうということ
3ヶ月後 このあとの生活についての不安
一から仕事を立て直さないといけないというリスク→母子寮を勧められる
親子で住み込みの仕事を探す→現実的には考えられなかった
母子寮・・・助けられた部分が多かった
自分で集めなければならない住宅情報
自分一人で頑張ってきたと思ってたけど、実は全然そうではなかった
子供に暴力が向けられた時、「これは自分だけが悪いんじゃない」という気持ちが首をもたげた


子育ての当事者研究
中学生男子は基本的に頭おかしい→物投げたり壊すのは健全
青少年の自立支援?ふざけんじゃあいよ!継続支援に決まってらあ!
継続的に伴走してくれる人がいなければ、子供はうまくいかない
暴力から逃げてきた人間は、勉強できないケースが多い
学校の先生たち・・・学校は安全という信念があらせられる
虐められたりされた経験ある人にとって学校は安全ではない
不登校、退学からの大検入学者の「恥ずかしさ」
自立支援ではなく継続支援。学びを継続させられるためにどうやってアプローチかけるのか
緩やかに繋がることは、格差の解消につながるのか
厳罰化反対の立場では、厳罰の「基準」の曖昧さを指摘
パートナーの範囲が広がれば、もっと信頼関係の構築が容易になるのでは
パートナーは必要かもしれないけれど、自分とパートナーはどう距離をとればいいのか全くわからない。こわい
しばらくは母親どうしでつるんでいたい
なかなかまだ親密な関係になった時に同じ関係になるんじゃないかという恐怖感もある


まとめ
自分でもよくここまで生き抜いてこられたなあという気持ち
さくら荘とは緩いつながりではあるが、当時の仲間が頑張ってるというのが心強い
何かあった時に相談できる場としてさくら荘存在してくれている

さくら荘とつながって自分を見つめ直す時間ができた
自分の人生にはそれがよかった