doublubonのブログ

色々なことについて書きます

寒い

なんだか寒い気がするんだけど…いやいや、実際寒いでしょう。キャンパスを歩いていても厚着をしている人が、それでもなお寒そうに身体をちぢこませて歩く姿を見るのが珍しいことではなくなった。いやあ、寒いですわ。非常に寒い。なんかこの一週間くらいですごく気温下がった気がするんだけど、これは俺だけではないよねきっと。

けどまあ、寒くなるにつれて街頭を歩く人たちの服装が変わっていく様を見るのもなかなか楽しい。ついこないだまでみんなシャツにニットだったのが、今となってはメルトンのコートにマフラーをぐるぐる巻きにしている人のほうが多い。こないだ色々とお世話になっている古着屋の店主の方と雑談をしていたんだけど、「日本は四季があるからこそ洒落た人が多い。服装に気を使う風土が備わっているのでは」というようなことが話題の俎上に上がって、妙に納得してしまった。確かに年がら年中寒かったり暑かったりしたら、服装にこだわり持つようなことなんてしなくなるよね。
だからといって俺のもとには資本が無限に蓄えられているわけでもない。限られた予算の中でいかにして気に入った服を買っていくか、ということは俺含めた大半の学生たちの至上命題だと思う。昔っから服には割と金かけていた俺だが、引っ越してきて生活費、家賃も全部自分持ちということでそんなこともできなくなってきた。俺が近隣の古着屋に足を運ぶようになったきっかけは、決して古着が好きだったからではなく、安さと服自体の質のバランスをとるための苦肉の策だった。だいたい、つい最近まで俺は古着が嫌いだった。変なニオイするし、アングラな雰囲気でなかなか入りづらかったり、店員の愛想が悪かったりで。チェーン展開している古着屋はそんなことなかったりするのかもしれないけど、まあとにかく俺はかなりの偏見を古着/屋に対して持っていた。
ところがどっこい、古着屋って一回利用してしまうともう新品のショップになんて行けないくらい便利なことがわかる。なんといっても安い。つい先日、ShottのPコートを古着で購入したのだが、値段はなんと7千円強。普通にセレショで買ったら2万とか3万もするような代物だ。古着といっても状態はかなり良く、年一回クリーニングに出す等の手入れをすれば十年選手は固いだろう。別にクサくもないし(失敬、古着がクサいというのは完全に俺の間違った偏見だ)、なんか普通に新品を買っているような気分である。それから、特に個人経営の古着屋は、掘り出し物が眠っている確率もかなり高い。欲しかった服が良い状態で、かつ定価とは比較にならないほどに安く売られているのであれば、そのチャンスを利用しない手はない。かなり前に買ったJOHN LAWLENCE SALIVANのスラックスなどはその典型だったと思う。あれは本当に良い買い物だった。

最近よく思うのだが、新品の服だって一週間ほど着用したらもう立派に古着である。その一週間を楽しむためだけに高い金額を支払うのは、古着屋で買い物するとなんだか馬鹿らしくなってしまう。勿論俺も新品の服は買う。古着屋で売ってるような白シャツなんて着たくないし、靴なんかは絶対新品を買うように心がけている。要はバランスの問題だ。新品の服しか買わないのであれば費用もかさむし、反対に古着ばっかり着てたらひょっとすると小汚いという印象をもたれる可能性がある。高くついてしまうものは頑張って古着屋をめぐって探し、そこまで値段の張らないものはセレショやブランドの直営店で買えばいいのだ(当然ユニクロやしまむらという選択肢もアリだ)。

古着/新品という話から少し脱線して、TPOに照らして服装が適切か否か、そういうところに服選びの軸をおいてチョイスするのも楽しい。例えば一週間後に好きな女性とのデートの約束があるとする。そのための服を買うとなれば、当然ジャージやスウェットといったものに食指を伸ばすのはタブーである(と俺は思う)。考えなければならないのはその異性とどこへ行くのか、何をするのか、そしてその異性がデート相手に対してどんな恰好を求めるかということである。そうすると大抵の場合、ジャケットなんかの相応しいという結論に落ち着くわけだ。日常に照らして考えるのもいい。大学に全身コムデギャルソンを着ていったら間違いなく浮くし、なによりも大学という施設を利用する際に相応しいとはいえない。我々はトレーニングをする時、速乾性のジャージや機能的なトレーニングシューズを履く。推測するに、これは単に用途や機能の問題だけでなく、おそらく「その場に相応しいかどうか」という価値判断も同時に働いているのだといえるのではないだろうか。あり得ない話だが、もし仮にジムではコテコテのブリティッシュスーツを着るのが当たり前となった場合、そこで我々はジャージを着ていくことなど寸毫も考えないだろう。TPOとは時代によって仮構され、トレンドになることで敷衍するのである。そういう意味で、多少なりとも流行を知っておくのは嗜みとして大事なのではないだろうか。「俺は流行なんて追わねえ」という態度も、結局は流行についてある程度知識がなければとれないものだから。ま、なんのかんのと書いてきたけど、まあ言いたいことは「寒い」この一言に尽きるね。