doublubonのブログ

色々なことについて書きます

ある男の懊悩


「私は大学3年次から今に至るまで、日本とミャンマーを拠点としたNGO活動に携わっています。企業からの投資が打ち切られ、NGOの活動費を調達する必要に迫られた時、私はクラウドファンディングで費用を集めることを提案しました。私はクラウドファンディングの責任者としてウェブページの作成を任されました。より訴求力のあるページを作成するために実際にミャンマーに赴き、現地の人々と対話し、写真を数多く撮影しました。また、そのNGOの施設を見学することで、ウェブページに載せる文章により説得力を持たせる努力をしました。そしてウェブページを公開したのちはSNSやビラ、さらに公共放送などを駆使して広報に力を注ぎました。その結果、目標金額200万円を大幅に上回る300万円を調達することができました。責任者としてチームを指揮した経験は、この先必ず役立つだろうと確信しています。」
決して上手とは言えない手書きの文字を羅列したエントリーシートを見返して、彼ははふうとため息をついた。たった1年ほどの経験を−−そもそも対外的に発表するようなものでもない経験を−−得々と語っていったい何になる? 当時の自分はそれなりに真っ当な使命感に駆られてこの仕事をしていたと記憶している。自己愛はそんな経験を美化するためのスパイス程度のものだった。しかし、「就職」という日本の高等教育の受益者たちの殆どが避けて通ることのできない二文字が徐々に彼の中で大きくなっていくにつれて、彼自身の人生の中で貴重な時間だったであろうミャンマーでの一連の仕事は、徐々に「就職の手段」として貴重になっていっていることに気付いた。
この気付きは、内的なものと外的なものを彼が綜合的に判断した結果生じたものである(そもそも人間に純粋な「内面」なるものが存在すればの話だが)内的なものとはすなわち内省、主として大学の講義を終えて帰宅するまでの一時間弱の間に慣習的に行われる自己の内面の思索である。月曜日から金曜日まで、たいてい同じ時間に粛々と行われるこの儀式は、彼自身の性格を大きく規定する「癖」となっていた。自己の客体化、相対化、対象化−−言葉はなんであれ、彼は幼い頃から飽きもせずに行っていた内省によって自分自身を自分の外から視るようになっていた。自分と世界を完全に切り離し、「自分ありきの世界」ではなく「世界ありきの自分」を常に意識して生活していた彼は、その結果として自分の主張を押し通すのではなく、その場の調和を保つことが重要だと考える人間になっていた。この性格は職に就くためには、というテーマで繰り広げられる内省の最中にも遺憾なく発揮される。つまり、「周囲と同様、自身の経験をネタ化することこそが就職活動の要諦なのだ」と考えるようになったのはごく自然のことなのである。しかし、悲惨なことに彼は本心ではこの真逆のことを考えていた。つまり、「俺が彼の国でしてきたことは、就職のための道具ではない。自分自身が望んで、彼の国の人たちのためにやったことなんだ」というのが彼の偽らざる本音なのである。彼のこの葛藤は、資本主義的生産様式に即した人間、俗な物言いをすれば優秀なビジネスマンへの変化を強いられたが故に生じた、どんな人間も一度は経験したことのあるものである。しかし、どんな人間にとっても自分の悩みや苦しみは特別なものだと錯覚してしまう習性があるのと同様に、彼もまた、自分のこの葛藤はそう多くの同級生が持つものではない特殊なものだ、と誤解していたのは若さに免じて許してやるべき類のものだろう。
外的要因に話を移そう。彼の人間関係は乏しいものであったが、数少ない知人と呼べる存在の上級生たちは、なんら臆することなく自己変革に成功し、つまり優秀なビジネスマンとなる資格を得て大学を巣立っていったのである。彼らが一様に口にするのはこれである。
「理念を語る前に、まず自立しないとだめだよ、君」
年がら年中酒を呷り政治について、自分の将来の夢について口角に泡を立てながら赤ら顔で語っていた彼らは、就職を機にまるでお仕着せの服を着せられたようににやけ顏でこの文句を唱えるようになった。彼らは労働を通して抗いがたいこの高度資本主義社会の現実を思い知ったのだろうか。彼らは急に自分が世界の真理を知っているかのような口ぶりで話し始め、そして最後には現実主義の究極−−「経済的に自立しろ」を彼に放ってくるのである。
いつの時代も年齢の低いものは年齢の高い人間の価値観を内面化する。「年功序列」という制度は何も日本に独自のシステムではない。いわゆる「歴史」について等し並に興味があり、「歴史から学ぶものはある」と考える人間全てが無意識にこの年功序列制の体現者となっているのだ。彼もご多分に漏れず「彼らは自分よりも先輩である」というその一点だけを頼みにして「自立しろ」の文句を受け入れたのである。これが外的なものである。
彼の本音と建前の決闘は未だ決着のつかない熾烈なものとなった。なぜなら、彼は端的にいって優柔不断な男であり、普段は大言壮語を吐くものの実際の決断を迫られた途端に意気地をなくす小心者だからである。彼はどこにでもいるような平凡な人間だった。自分には他を寄せ付けない才能があり、自分は成功するだろうと根拠のない楽観に浸る点こそ、彼を平凡たらしめている何よりの証拠であることに疑いの余地はないだろう。そんな自分の非凡を信じる平凡な彼だからこそ、非凡さを周囲に証明する必要があった。たいていの大学生にとって、最も賞賛を受ける機会は就職活動中に到来する。名の通った大きな会社と握手を交わした人間は、下級生からは淀みのない激賞で迎えられ、同級生からは少しばかりの嫉妬とともに暖かい労いの言葉がかけられる。つまり、日本の大学生にとって就職活動とは自らの人生の分岐点であるとともに、大学受験を軽く上回る「神話」を形作るためのまたとないチャンスなのである。
就職活動とは−−どこかに共通する厳しさや大変さはあるにしても−−ある人にとっては至福であり、またある人にとっては地獄の仕打ちである。就職活動を斡旋し、日本の新卒一括採用システムを強固に作り上げたある会社の役員にとって、一般的に知られる就職活動はまさに金の成る木であり、この木を手塩にかけて育てることこそが彼らにとっての生きがいなのである。それ以外の人たちはこの会社が作り上げた就職活動なんてなくなればいいと思っている。結局美辞麗句で装飾したところで就職活動とは利益追求を目的として体系化されたものであり、それにあやかれる人間はほんのわずかなのである。

 

 

 

 

そんなことを考えているうちに彼は就職する機会を逃した。

「早大生は品がないよね」

「就職活動」…いやあ、ついにやってきてしまいましたねえ。テストも終わり、あとレポート一本で今期の授業は全て乗り切ったことになるので、そろそろ本腰いれて対策しなきゃならんなあ、と思いながら電車に乗ろうとしてメトロの改札まで階段を下っていたところで、こんなものを見つけた

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いやあ、笑ったよね。まあこれで俺の所属する大学が周知されてしまったわけだが、別にそれで身バレするわけでもなく、まして俺のブログ見てる人なんて全然いないので気にしなくていいだろう。


いや、何がすごいって、この悪びれもせず臆面もなく堂々とした「早大生は品がないよね」が赤地に白でデカデカと書かれていることですよ。いや、別に品の良し悪しなんてどうだっていいんだよ。「お前品がないな」とか言われても全く何も思わない。「はいすいません」程度だ。
このコピーのマズいところは、端的にこんな文句に踊らされてこの会社に入ることを決めた早大生(いるかどうかは知らんが)が間違いなく使えないバカだということだ。インパクトはある。だけどそれだけだ。「労働者搾取してる”品のない”ブルジョワがこれから搾取と収奪にモロにさらされることになる学生に対して”品がない”とはどういう了見ジャ〜!!」みたいな左派的なことはあえて言わないでおこう。もっとこのブログの数少ない読者に理解してもらえそうなロジックは間違いなく「このコピーで釣れる早大生はバカ」のほうだろうから。どうせあれだろ、無駄に肥大化した自尊心を抱え込んで、常に誰かと意地の張り合いをしたがる、飲める自慢ばっかりしてる話のつまらない早大生がお前んとこのインターンに嬉々として募集するだろうよ


あとはラベリングの問題ももちろん存在する。だって俺の学部の連中なんて大抵育ちが良くておっとりしてるぞ?一部例外はいるけれども。つか、今や早稲田は慶應に勝るとも劣らないブルジョワ子弟が集まる拝金主義大学だってことくらい知っとけよ。金持ちばっかりだぞ。学費なんて確か慶應より全然高かったろ?金持ちの子弟=品が良い、とまでは言わないけれでも、旧来の早稲田のイメージを今の早稲田に押し付けるって、それってあれじゃないですか?バカなコピーライターの妄想じゃないですかー。妄想で書いたものをそのままアドにしちゃうなんてちょっとおいたが過ぎやしませんかねえ。



いや、まあそれはおいておいて、本当にこの企業の連中は、このコピーが何らかの効果をもたらすと思っているのか?どうせ炎上狙いだろ?別に炎上商法そのものを否定するつもりはないけど、もしこの言葉で学生煽ってんなら、それは狡くてずる賢くて、まさしく軽蔑すべき、唾棄すべきやり方だよ。一端の大人がそんなマネして喜んでる?いやいや勘弁してくれ。それまじダサいよ。恥ずかしいことだよ。


自分がどれだけ頭の悪い人間なのか、もっかい大学入試受けて再確認してみたら??













D'Angeloパシフィコ横浜公演の

S席チケットを購入してしまった…。

現実(テスト)からの逃避を極めた結果、気づいたらチケットキャンプで落札してしまっていた。実質4列目。目と鼻の先にブラックメサイアがいるという神懸かりな席である。各種チケット販売会社の先行予約でも、必ずしもよい席に当たるとは限らないみたいなので、むしろちょっと割高だけども確実に自分にとって望ましい位置を確保できるオークションの方がいいんじゃね?となった。


D'Angelo…このアーティストについての思い入れは結構、いやかなり深い。忘れもしない高校2年の冬、当時の俺はかなりこじらせていたため、クラス内で流行っていた軟弱なJPOPを受け入れることができず、いつもHIPHOPR&Bばかり聞いていた。当時の俺の中での流行は90年代NY黄金世代である。NASから始まりWu-tang Clanの1stに衝撃を受け、そこからMOBB DEEPD.I.T.C.の面々、Gangstarrなどを好んで聞いていた。今からすると考えられないくらいストイックな顔ぶれである。今でももちろんこの連中は大好きだが、3、4曲ほど聞いたらもうお腹いっぱいでNellyの激甘歌モノチューンに走ってしまうこと間違いなしだ。高校生の頃の俺といったらもう本当にDig精神が旺盛で、「学校で誰も聞いてないような音楽聞いたろ!」みたいな信念があった(ちなみに今俺はこれを書きながらJustin Timberlakeを聞いている)。何度も言うが、拗らせていたのである。恩師の言葉を借りれば「高校生はみんなだいたい頭おかしい」のである。


そういう時期に出会ったのがこのD'Angeloだ。よく見ていたbmrのウェブサイト(当時は確かnotraxというサイト名だったと思う)のアーティストデータベースで見つけたこの男は、「今最も新譜が期待されているミュージシャンの一人である」などととんでもない絶賛をされていたので興味が湧き、高校近くの今は潰れたCDショップで1st "Brown Sugar"を購入した。家に帰って封を開け、試しに一曲目のタイトルナンバーをかけてみる。



な、なんじゃこりゃあっ!!



「かっこよさとはなにか」という厨二臭い命題について四六時中考えていた俺にとって、まさにこの曲が回答そのものだった。ファットなベース、それに絡みつくようなDのボーカル、HIPHOPばりに煙たくてドープな音像、どこを切っても「とってもクールだ…」という感想しか浮かばない。ちなみにこの曲に関しては今でも俺の中での好きな曲ランキングで頂点に君臨している。本当に、この曲をきっかけにネオソウルにずぶずぶとはまっていったのである。俺の音楽の嗜好に与えた影響はマジクソヤベエくらいでかい。


んで、当然買うのがセカンドアルバムである。ネットの評価を見る限りBrown Sugarを遥かに上回る大傑作!傑作すぎてヤバい!みたいな、猫も杓子も絶賛の嵐だったので、ほんとかよ、前作の路線引き継いでたらいいな、と思いながら一曲目Playa Playaを再生する。



!!??




意味がわからないのである。ナニコレ!って感じ。なにこの宗教儀式!みたいな。すごいんだけどすごすぎて理解できない。何がすごいのか形容することができなかった。一聴したインパクトは明らかにVOODOOのほうが大きいんだけど、いかんせんその意味のわからないすごさと緊張感、難解さから、しばらく敬遠してたのだが、なんかわからないけど未だに聞いてる。なんかとりあえず、みたいな感じでLeft & Rightを聞く、みたいな。難解な作風なんだけど、聞いて解釈しようと思っても俺レベルの理解力だと正直歯牙にも掛けないくらい強靭なので、もう最近は諦めて単純にこのわけのわからない中毒性のあるリズムに身をまかせられればいいや、となっている。すいません、本当大好きなのにこんな適当な感じで。けどこういう聞き方してもいいっしょ。


そういう感じで今に至るまで飽きることなくDを聞き続けている。多分この先一生聞いてられるんじゃないかなあ。Brown Sugarはともかく、VOODOOはどれだけ時間経っても古臭くならない、なりようのないタイムレスな魅力に満ち溢れていると思う。


まあ正直新譜は出ないだろうと思ってたよ。この人の関連ニュース追っかけてたけど大抵噂の域を出ないし、久々に写真を見たらなんかもう見るも無残な肥え太った姿になってしまっていたから。こんな状態でレコーディングしたって良い曲は作れないだろうな、と諦め半分で、けどたまに出るコンピ盤(クソみたいな出来栄えだった)やライブ盤を聞いて。ちょっとだけ期待もあったのかもしれない。


忘れもしない2014年暮れですよ。bmrツイッターでいきなり「Dが新作の発売をアナウンス!」みたいなニュースがいきなり飛び込んできたから「は?どうせ出す出す詐欺だろ?」みたいな感じで気にも留めてなかった。そのニュースから3日くらい経って、マジで新譜ドロップされてて、iTunesで検索かけたらマジであんの、Black Messiah。「いやいや、嘘でしょこんなこんな。またどうせJames River Preludeみたいなどうしようもないコンピでしょ」とか思いながらトラックリスト見たら、知ってる曲はいくつかあったけど紛れもない新作。心臓止まるかと思ったね。で、これ読んでるみなさんはもちろん知ってるだろうことをあえて言うけど、新譜、最高でした。これに関しては多くの人が口やかましく言ってるし、俺がとやかくものすことではないけれども、これ以上ない形での完全復活って感じっす。肥え太ったとか言っちゃってスンマセンでした。やっぱりアンタはスゴい。


そんなD様が来日すると聞いた時は本当にビックリしたね。新譜と来日、今まで叶わないだろうなと思っていた夢が一気に実現したもんだから、いやあ明日あたり世界終わるんじゃないの?くらいの感覚だった。結局用事が入ってしまってサマソニ、ゼップともに行けなかったから、再来日してくれるってのは俺にとってはすっごい嬉しい。オーディエンスの盛り上がり方が尋常じゃなかったらしいから、それで気を良くしてくれたのかな?なんにせよ、Dの実質初来日を盛り上げてくれた先達の方々、本当にありがとうございます。おかげで俺にもDを拝むチャンスが巡ってきました。

語っているとキリがないので、ここらへんで打ち止めにしますが、これから先も多分この人周辺の俺のお気に入りのアーティストの話をするかもしれない。共演的な意味で言ったら?uestloveとか、ネオソウル的な意味で言ったらMaxwellとか、ほんと大好きなので。そん時はまたよろしくお願いします。












疲れてます

テスト勉強に手がつかない。

巷間「デキる人は時間をうまく使える」というようなことが言われているわけだが、それが真理なのだとしたら俺は万物の創造主ヤーヴェも秒で見放すレベルでデキない人間といえる。ナチュラルボーン不能者、生まれながらのインポテンツ、女に愛されない宿命を背負った男なのだ。


女に愛されないーーこれは由々しき事態である。男とはすなわち女に擦り寄られて鼻の下を伸ばすことで生きる活力を生産している生物なのだから、女に見向きもされない男は一体どのようにして自己を生きながらえせしめているのだろうか。


簡単だ。二次元である。現実の女に見切りをつけた(或はつけられた)男は死んでいった同胞(はらから)たちの遺骸を踏み越えて二次元のオアシスへとたどりつく。そこはまさにエデンの園桃源郷も真っ青のハーレム世界なのである。自宅という名のジパングでブヒブヒしてエネルギーを蓄えた負け組クソキモオタは、翌日には無気力な表情で出勤し、仕事に追われノルマにビクつき、課長に怒られ意気消沈してジパングに帰宅、またブヒってエネルギー補給して翌朝という無限ループに入り込む。




世の中にはたくさんの男たちがいる。




今俺がこうしてブログを書いている間にも大好きな彼女とラブラブセックスをしている男もいる。俺がこうして悶々とテスト勉強のできなさに嘆いている間にも、大好きな彼女とラブラブセックスをしている男だっている。世の中の男は二つのカテゴリに区分できる。一つはセックスできる男。もう一つはセックスできない男である。なんて世の中には不公平なんだ。涙がでてきた。






だけど俺はそんな世の中の男たち、全員を等しく愛して生きていきたい。






講演会 メモ

さくら荘 逃げてきた人たちが安全で住みやすいところを目指す
300人から500人ほどの卒業生
・コミュニティ心理学→個人と環境の適合⇨社会を変えなければならない
・協働の理念 コラボレーションの媒介としての職員、荘そのもの
自助グループの奨励「当事者は力なり」「アンダンテ」というグループの発足
→エンパワメント
”シェルター支援の現場から見えてきたもの”

シェルター=蚕の繭・・・安心できる場所。自分の物語を紡ぎ出す
自分が受けた心と身体の傷をしっかりと認識するということ
旧来の規範から離れること・・・困難。バックラッシュへの対応
「新しい親密圏の中に入る」
2007ー2008 困難さの顕在化・・・新しい親密圏に入ることを拒否する人の増加
→挫折感に対して杉山氏の著作がリンク
→人生における選択肢が狭まる→高橋氏の仕事とリンク

杉山氏(ライター)
2008 移民還流・・・日系ブラジル移民の密着取材
日本で暮らす外国人に月一でインタビューする仕事もしていた
川崎市川崎区における事件・・・男児が殺される→主犯格の母親はフィリピン人
外国籍の人々の困難は、非常に見えにくい
大阪二児置き去り事件 母親は一時期だけ「完璧な母親ぶり」を見せていた
その後、二人目が生まれた途端に堕落→主婦から外れた瞬間、様々な社会資源を使えなくなる
社会変化が、子どもの貧困や虐待の様相を変化させていったのではないか?

価値観を共有できないということ
価値観の多様性→人と人がなかなか繋がりにくくなってしまった
☆社会格差の増大は、共同体の崩壊の一端を担ったのでは?
家庭が非常に壊れやすくなってきている社会
自分が自分で許せない母親像は、隠蔽される
→自分で自分を許せなければ他者と繋がることは容易ではない
価値観「こうあるべき姿」と、今の自分の辻褄の合わなさ、のしわ寄せが、最もどうにでもできる子どもへと向かう

日本の政策の問題点
「労働力としての外国人」がほしいけれども、それを「移民」として認めていない
血統に対する固執→同じ血を持っていれば同じ価値観を持っているだろう
日系人を優先的に受け入れた(80年代)
90年代・・・日本の就労のあり方が変化→派遣業の増加
血の繋がりが薄い日系ではない人間が大量に流入→労働力として使われる
「ただ働くためだけに来ている集団」→コミュニティが存在しない
日本の中で義務教育を受けられずに放置されている少年
20人に一人の在日ブラジル人が刑務所を経験
教育における価値観、前提が異なる→教育格差の増大
姿が見えない中で育つ人がいる
「そんなに日本人と付き合う必要もない」・・・経済だけで人が繋がっていく社会・・・同じ国籍の人同士で連帯の契機を作ることができない
「自分が生きていく理由が、ただお金を稼ぐだけ」になる
→家庭の崩壊、コミュニティの崩壊
戦前の在日ブラジル人・・・一致団結して頑張る
高度資本主義社会・・・人間がバラバラになること
価値観・・・人どうしをつなぐ紐帯のようなもの
紐帯が無ければ人間の関係性は構築されない。信頼関係も醸成され得ない

そんな中で、川崎の事件
フィリピン系の人ということを報道したくない→外国人差別になるから
「早くに出勤、遅くに帰宅していたので、息子が何をしているのかわからなかった」
一人一人の抱えている困難の多様化
様々な関係が切られる中で起きた事件
「子供たちは人種ではなく、階層で繋がっている」
☆階層から抜け出すことの困難さ?階級社会の復活?
違う価値観を持っている中で憎悪・無力感が増殖
コミュニティの中でも繋がりは断たれてしまった
「同じようなニオイのする子どもどうしの繋がりが強化されている」
日本でどれだけ犯罪を犯しても、日本から出なくていい、ということの安心感
些細な罪が、その人の人生を揺り動かすほどの困難をもたらす
お互いの信頼が作れない中で生じる暴力
フィリピン女性の特徴・・・日本で暮らすフィリピン人のの八割が女性、20代
日本人の配偶者を得て日本国籍を取得する・・・夫との関係の良し悪しによって、自分の日本での安泰が左右される
困難層の人々と我々がどのように繋がっていけるのか

追加
SOSをどう受け止めるか?
ありのままにそこにいてSOSを出せるかどうか
敬意を持って接せられるかどうか
両親に「ああ頑張ったね」と伝えるということ
虐待する両親も、孤立無援な中で頑張っている
自分たちはたくさんの人によって支えられているという自覚
そういうものを持たない人間がどれほど困難を味わっているのか、ということを理解する

高橋氏(施設退所者ケアマネ)
ユズリハ
自立援助ホーム(15ー20の若者が働きながら就労支援するグループホーム
自立・・・自分で使っていながら、自立ってなんなのかよくわからない?
卒社した若者がちゃんと生活を維持できているのか、という話
ホームレス、服役者、望まない妊娠
成人になってから、また施設生活へ逆戻りするケースもある
安心して「助けて」の声をあげられる場所の創造
法人のもとでユズリハの活動

児童福祉
児童虐待・・・9万件
3日に一人、子供が虐待によって命を落とす現状
狭山市での事件などなど
社会的保護のもとで暮らす子供た・・・4万7千人
里親家庭で暮らすための取り組み→血縁・地縁を重んじる日本ではなかなか難しい
里親の需要はあるのにもかかわらず、様々な困難から供給が成り立っていない
安定した生活を送れないケースも少なくない

施設経験者がもう一度施設に入ってしまう要因
1.虐待のトラウマ
不適切な養育環境で育った記憶を抱えている
カウンセリングや薬によってどうにかなるものではない
子供期に受ける日常的な暴力・暴言がその後の人生に及ぼす影響の根深さ
トラウマや記憶を乗り越えながら退所者は生活しなければならない
当事者の人々も予期せぬ形でフラッシュバックを起こしたりする
2.両親に一切頼ることができない
両親が劇的に変化して、退所後は仲良く生活しているケースは「ない」
☆アフターケアの必要性?
親が親として機能していることはまずない→親に頼るのは不可能
→自分一人で全ての生活をやりくりしなければならない
失敗することも立ち止まることも休息することもできない
正社員として働けることができるのはほんの一握り
児童養護施設出身の若者は全体の20%
施設の子たちにこそ高学歴・就労の資格を与えなければならない
(社会的再生産の観点からしてこれは困難なのでは?)
「親に仕送りもらう社会人なんて普通」という意見に対して
→何かあった時に頼れる親がいるかどうかという潜在性の有無は大きな違いがあるでしょ?ぱっと親の顔を浮かべることができるのは健常な家庭で育った人間だけ
「家族の幻想」という古い価値観は完全に打破すべき
☆オルタナティヴな「保証人」が必要なのでは
親や家族が正常に機能していないが、それを求める社会
年間で延べ1万件の相談・・・女性からの相談が多い
女性性であるから受ける被害の多さ
性的な被害が必ず伴ってくる→女性であるがゆえに受ける被害の深刻さ
性産業へ誘導されるということ
・住むところをすぐ提供してくれる
・連帯保証人など必要ない
・生きていくために手っ取り早い

(追加)
気持ちとして「相談してくれてありがとう」という感謝の気持ち
ここまで生きてこれたね、と伝える
理解しようとする気持ち、寄り添わせてもらう姿勢
支援者自身が相談者を傷つけてしまうケースがかなりある
支援をする上で自分たちの倫理観や正しさを振り回す意味がない
潜在的に困っている人たちの声を汲み取ることができない
一人一人の相談者との対応を真摯に行う→信頼関係は波及する
できないことはできないということ
支援を継続するためにできることを相談者に表明する
オーダーメイドの距離の取り方
支援の手が行き届かない現状を変えるためにどうアプローチすればよいのか

第2部 当事者の声を聴く
ダルク女性ハウス管理人
暴力を受けたあとには集中力が著しく減退する
効率的に伝えたい部分だけ伝えるという試み
今している話の、文脈を理解することができない
☆相談者と付き合っていく人にはある種の「胆力」が必要なのでは
悪いのは誰なのか?
まず生き抜くということに対する驚嘆
他者が受けた暴力の痛みを最も緩和するのは、薬物が一番効果がある
→虐待受けた人間の70%が薬物依存症になるという研究報告
日本・・・厳罰化の国だから、相談に行くことができない
→点々と相談していくことの重要性
とにかく10年は生き延びろ(法律スレスレのところ)
やっぱ民間に金ジャバジャバ行きわたらせたほうがよい

当事者の方①(名前を忘れてしまった)→坂上さん?
ここに来るのが辛かった
ここで話せるのかどうかというプレッシャー
元夫によるモラハラ・・・結婚して5年で自覚
自分だけが我慢すればよい?・・・子供にも影響する
→調停による離婚に5年かける→計10年
震災云々の状況の中で、さくら荘に入居できたことは非常にラッキーなことだった
夫は弁護士をつけていた
夫「子供の親権が欲しい」
家に行って親権を諦めてくれれば近所に住んでもよい→拒否
→家出
自宅近くの児童館に自転車をとめたところ、職員に訊ねられて行政とつながる
夫との生活時に全てのことを制限されていた・・・「風呂にいつでも入ってよい」と言われたことが本当に安心できた
さくら荘は母子ともに好き
さくら荘が小学校の学区には入っていなかったので、近くのアパートに転宅し、そこから小学校に通わせられるようにした
夫のことは、もう過去のこととしてどうでもよい、が、子供の不登校等のほうが悩まされる
共依存の経験が今となってどれだけマズいことだったのかということを痛感
子供が言うことを聞かないという辛さ
良い辛さとダメな辛さ
・主体的に決断することのできない辛さ・・・ダメな辛さ
・決断できることの問題で悩む辛さ・・・良い辛さ
立ち上がることの練習中
「生きてること自体がこわい」
大変さの区別がつかない辛さ
定点観測の必要性
自分の立ち位置を常に確認し続けることが大事

萱場氏
30歳で子供が生まれてから暴力が始まるようになった
自分が家庭の中でくつろげる可能性がないだけだ→まだつらくない
暴力の矛先が長女に向かう
自分が悪いことだから人に相談できる資格なんてないのだ、という気持ち
カウンセラー「あなたたちの安全を守るためにはあなたが家を出なければならない」
夫との話し合い→夫「お前の態度次第だ。子供に暴力を振るうことが最も効果的だ」
これはダメだという気持ちの肥大化
きっかけを与えてくれたのはIFFの人→弁護士に相談できた
収入が小さくても子供が幼ければ親権を手に入れられる可能性が高い
決断を後押ししたのは?・・・子供が連れて行かれてしまったら意味がないという執着心と、シェルターという安全地帯があると知れたこと
さくら荘・・・安心できる場所ができてよかった
安心して親子で過ごせる場所ができて嬉しかったということ
両親「父親のない子供を作るのか」「お前の口の利き方が悪かったんじゃないのか」
☆親に頼れない。冗談半分で捉えられれしまうということ
3ヶ月後 このあとの生活についての不安
一から仕事を立て直さないといけないというリスク→母子寮を勧められる
親子で住み込みの仕事を探す→現実的には考えられなかった
母子寮・・・助けられた部分が多かった
自分で集めなければならない住宅情報
自分一人で頑張ってきたと思ってたけど、実は全然そうではなかった
子供に暴力が向けられた時、「これは自分だけが悪いんじゃない」という気持ちが首をもたげた


子育ての当事者研究
中学生男子は基本的に頭おかしい→物投げたり壊すのは健全
青少年の自立支援?ふざけんじゃあいよ!継続支援に決まってらあ!
継続的に伴走してくれる人がいなければ、子供はうまくいかない
暴力から逃げてきた人間は、勉強できないケースが多い
学校の先生たち・・・学校は安全という信念があらせられる
虐められたりされた経験ある人にとって学校は安全ではない
不登校、退学からの大検入学者の「恥ずかしさ」
自立支援ではなく継続支援。学びを継続させられるためにどうやってアプローチかけるのか
緩やかに繋がることは、格差の解消につながるのか
厳罰化反対の立場では、厳罰の「基準」の曖昧さを指摘
パートナーの範囲が広がれば、もっと信頼関係の構築が容易になるのでは
パートナーは必要かもしれないけれど、自分とパートナーはどう距離をとればいいのか全くわからない。こわい
しばらくは母親どうしでつるんでいたい
なかなかまだ親密な関係になった時に同じ関係になるんじゃないかという恐怖感もある


まとめ
自分でもよくここまで生き抜いてこられたなあという気持ち
さくら荘とは緩いつながりではあるが、当時の仲間が頑張ってるというのが心強い
何かあった時に相談できる場としてさくら荘存在してくれている

さくら荘とつながって自分を見つめ直す時間ができた
自分の人生にはそれがよかった



腹が立つ

いいねすれば供養されるとでも思ってんのか????
死人オカズにしてオナニーしてんじゃねえ!
たかがSNSになけなしの友情突っ込む前にやるべきことがあるだろ!


全部SNSで済ませようとする連中は嫌いだ。心底軽蔑する。
それに、悲しみを言語化するにはもっと時間をかけるべきだし、かからなければならないもんだろ……

本当に友達だったの?

軽井沢の件

お久しぶりです。
先日起こった軽井沢のバス事故、俺の友人とまでは言わないながらも、知っている人が犠牲になってた。それ知って心臓がキュッとなった。ああ、人の死ってのは自分から遠く離れれば離れるほど文字どおり「他人事」だし、近ければ近いほど「他人事ではない」のだな、という当たり前のことを再確認した。
誰かを断罪したところで徒労に終わる話だ。ルートを変更した運転手を断罪しても、杜撰な経営体制で休憩を「取れる場所で」程度で考えていたバス会社を断罪しても(もちろん経営責任は問われなければならないが)。誰かに責任をなすりつけ、その人に悪罵を浴びせかけたところで死んだ人は還ってこない。本当に批判されるべきは、こんなガバガバなバス会社を野放しにした業界であり、格安だからといって安全性について適切な注意喚起を施さなかった我々市民である(言わずもがなだが、今回の件で過剰にプライベートを報道し、ゴシップばりのクソ記事、御涙頂戴記事を量産したマスコミは万死に値する)。「他人事ではない」ということは、自分が格安バス会社を使う可能性を否定し切れないところから生じるものだと思うし、ならば格安なりの理由をもっと調べ、問題があるのならそれに対して批判を加えなければならなかった。
難しい話だろうか?日本ではあらゆるものが野放しにされすぎである。それは行政に頼りきりで自分たちでなんとかしなければならないという自発的努力志向の欠如であり、もっといえば怠惰である。


こんな腐った社会は我々の手で変えなければならない。お悔やみの言葉は言わない。